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米軍基地。 [日常。]

米軍基地。


「在日米軍専用施設面積の約75%が沖縄にあり、県土面積の約11%を占める」
Yahooニュースより引用



沖縄に来るようになって一番驚いたのは、やっぱり基地だった。

那覇空港は軍民共用であり、旅客機の横を自衛隊の輸送機が横切る。
そして沖縄の主要道である国道58号線は、多くが両脇を米軍基地に囲まれている。


過去の歴史が、沖縄に長い間この状況を強いている。
柵を隔てて、向こう側は日本ではない、アメリカなのだ。

確かに、米軍基地があるお陰で沖縄経済が「回っている」のは確かだと思う。
ただそれは「回らざるを得ない」状況から脱することができない、のではないかと。

米軍基地がそこに存在するということ。
これだけは紛れもない事実なのだから。



週末、米軍基地に行って来た。
キャンプ・キンザーで行われている『キンザー・フェスト』というイベントに。

特に目当てはなかったけれど、一度見ておきたかった。
あの柵の向こう側を。



キャンプ・キンザー

「浦添市の西部に立地するアメリカ海兵隊の兵站施設」

Wikipediaより引用

主な役割は「継続的な戦務支援」、「訓練施設」、「兵站」、「行政的支援等」。

在日米国海兵隊サイトより引用




ゲートを入ると、米軍兵と日本人の警備スタッフのような人がいる。
そこで身分証明書を提示し、入場を許される形だった。
特に大仰な検査などはなく、簡単に駐車場へ。

駐車場は、広大な芝生をロープで区切っている。
芝生の上を車で走ったのは初めてかもしれない。

駐車場内の誘導も米軍兵。
車を降りて進むと、入場ゲートが設けられていてここで荷物検査。

ペットボトルやビン・缶などの飲料、クーラーボックス等は持ち込み禁止。
検査を担当していた米軍兵の「ダイジョウブ」という言葉で検査終了、入場。

中は基地というより、どちらかというと「大きな倉庫」という感じ。
子供向けのアトラクションは昔の百貨店屋上にあったような、遊戯が並ぶ。

その先には日本の露店が並び、食べ物、おもちゃなど、本当に日本のお祭り。
更にその先には大きなテントでアメリカンな食べ物がが売られている。
奥にはステージがあってライブなどが行われるようだ。

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こっちに来て、円とドルのレートが書いてあった店は見たけど、価格表記がドルは初めて。
ネイサンズ フットロングホットドッグのコンボミールをオーダー。

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デカイ。
イマイチ写真では伝わらないかもしれないが、350ml缶と比較して欲しい。

味は・・・相当大味。
美味いか不味いかって言われたら・・・不味い方だ、個人的には。
食べ切れないので包んで持ち帰り、翌日朝ちゃんと食べたけど。

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帰り際。
芝生エリアには装甲車だったり輸送機と思われる機体が。
乗れたので入ってみると・・・ケーブル剥き出しの内部。
そして映画で見たような、簡易的なシート。

外側に「RESCUE」とあったから、後方支援の救急輸送機なのかも。

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基地に入ってみて、素直な感想。

やっぱり怖い、基地が近くにあるということが。
後方支援が主たる目的であっても、その先は『戦場』へと繋がっている。
ちょうど『父親たちの星条旗』、「硫黄島からの手紙」を見た後だったので、余計かな。

個人的に『戦争』は、一部の人間への富と、憎悪や恨み、悲しみしか生まないと思う。
ただ・・・闘争や革命のように、歴史を変える闘いをどう考えればいいのか。

内地で生活した時にはわからなかったことに、気づく。
これから自分が何を信じ、考え、どう行動しなければいけないのか。
いい機会だと思う。


沖縄にお越しの際は、是非基地を体験してみてください。
そして自分の問題として、少しでいいから考えてください。

沖縄の基地を撤去して欲しいから言うのではなくて。
米軍基地がそこに存在することを、わかって欲しい。

そこから何かが始まると信じたい。


日常と非日常。 [日常。]

最近は少し、気持ちの浮き沈みが激しい。
楽しい時はいいのだけれど、落ち込むとなかなか持ち上げることができない。

昔からの気質なので、出来れば治したいのだけれど。
まぁでもこんな自分と付き合って早30年も経ったのだし。

『悩めることは、幸せなこと』であるとわかっている、そう信じている。


そういえば以前『麺や 和楽』のエントリを書いた時にもらったリクエスト
先週の土曜日、北部にドライブに行った折、結局寄ったのは『麺や 和楽』。

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中華そば(並)です。

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麺はこんな感じ。
新福菜館に似てるなーって思います。


さて、今日は少し元気だから頑張ろう。


ポケットマーニー。 [旨食。]

沖縄に来て早3ヵ月半。

自動車免許も無事取得し、自分の車も購入。
ようやく色んなことへの足がかりが出来てきました。

最初は不安だった運転も「習うより慣れろ!」をモットーに毎日走っています。

今日もそんなドライブ
道を覚えるついでに、色んな場所へ。


ぐるぐると走った最後は、美味しいご飯。
首里にある『ポケットマーニー』というカレー屋さんです。

カレーと言えばTOKIAにある『インデアンカレー』に1年間毎週通った程。
自分にとってはラーメンに並ぶ、大好物の一品。

この『ポケットマーニー』は「仲村清司の独断偏見!!沖縄とっておきの隠れ家」
という本に載っていて、移住前から行きたかったお店。

セルフサービスになっていて、テーブルにある紙にオーダーを書いて持っていく。
出来上がると教えてくれて、食べたら片してお金をお支払い
メニューも豊富、ちなみに大学や高校が近くにある為、学生の大盛は少し安い。

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皆さんお薦めの『インド風チキンカレー』にトンカツをトッピングで大盛に。
食べ過ぎな感は否めませんが・・・夕食を減らします。
辛さは前回7倍だったので、今回は10倍にチャレンジ。

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出てきたカレーはどろっととろみのある、懐かしい感じのカレー。
でもさすが10倍、刺激的な辛さに汗が滲んできます。
『インド風』と書いてあるけど、美味しい日本のカレーですな。

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沖縄でカレー。
おせちに飽きたらカレーもね、何てCMありましたよね?
沖縄料理やそばに飽きたらカレーもいかが?

 


瀬長島。 [日常。]

 

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沖縄には『瀬長島』と『瀬底島』という、似た名前の島があります。

『瀬長島』は那覇の隣、豊見城市。
『瀬底島』は本島北部、本部町。

ちょっと紛らわしいのだけど、どちらも本島から橋で接続されています。

日曜日、ドライブがてら『瀬長島』へ。
ここは那覇空港の真横に位置している為、飛行機の離発着が間近で見られます。

6年前の来沖当初は、内地に帰る日に度々寄っていた思い出のある場所。

その後は瀬長島を横目にしながら、隣にできた国道331号を走っていました。
久々に来た瀬長島、久々に来た海。

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ちょうど干潮だったのか入ってみると水は足首程度。
更に沖合いに進んでも膝まで浸かるぐらい。

童心に返って、何も考えずに海の中でボーっと。

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夕方ということもあって、海風が心地いい気候。
何もないようで、沢山のものが贅沢に溢れているんだなぁと実感した1日でした。


六月の勝利の歌を忘れない。 [非日常。]

2002年頃の自分。
青いジャージに身を包んだ代表を、俺達の代表だと思っていた。

もちろん赤いチームのサポーターなんだけれど。
でもあの時は、イチ日本人として情熱を持って応援していたと思う。

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久しぶりに『六月の勝利の歌を忘れない』を見た。
これは2002年日韓ワールドカップの日本代表を記録したドキュメンタリーである。


日本代表監督は、今やFC琉球の総監督フィリップ・トルシエ。
そして、選ばれた23人の選手達。

この23人のうち、現在現役なのは21人。
引退したのは元鹿島京都秋田豊と・・・中田英寿だけ。

本当に若く、才能溢れた選手が多かったのだなと思う。
また逆に、ベテランである中山雅史と秋田豊の大きな存在感を感じる。

 

そこには日本中が、自分自身が熱狂した時間が、映し出されていた。

ベルギー戦の鈴木隆之、稲本潤一歓喜のゴール。
ロシア戦のワールドカップ初勝利という、大きな歴史の一歩。
チュニジア戦の完勝とも言える試合運びと、グループリーグ突破という事実。
そして、トルコ戦の涙。

ワールドカップは、夢の世界でしかなかった。
1998年フランスワールドカップでは1点しか取れなかった。

しかし2002年、そこで日本代表が闘い、得点をし、そして勝利する。
夢が現実になり、そして歴史を紡いだ。

 

あれから6年、何故青いジャージに身を包んだ代表を、俺達の代表だと思えなくなったのか。
赤いチームからもコンスタントに、時には過剰に、代表選出されているのに。
マスコミが言うように、一時的な代表人気に乗っていただけなのか。

でも『六月の勝利の歌を忘れない』を見て、胸躍る自分に気がついた。
やっぱりあの時の代表は、俺達の代表だったんだと。


ワールドカップが夢から現実へと変わってから10年。
2010年南アフリカワールドカップの、アジア最終予選が始まる。

ワールドカップは現実ではなく、未だ夢である。
現実を勝ち取らなければ、夢の場所に到達できない。

Jリーグ開幕から15年。
今が日本サッカー界にとって、大きな転換期なんだろうと思う。
あの頃の情熱を再び。

そして、2010南アフリカへ。


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