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2000.11.29-。 [浦和レッズ。]

2000.11.29-



順調かに見えた序盤。
J2で初めての敗北、そして崩れ行くチーム。
横山謙三の総監督就任。
J1昇格へのファイナル5。



そして、あの日。

勝てばJ1昇格。
相手はサガン鳥栖。

アジエルのゴール、先制。
しかし直後にDFとGKの連携ミスにて失点。
そしてDF室井一発退場、PK。
大分の結果如何では、J1昇格できない。



ルシアノ、PK失敗。



そして、延長へ。



延長突入前、アップで駆け抜ける岡野。
ジョホールバルでの1997年仏W杯最終予選イラン戦と同じ光景。
湧く駒場スタジアム



絶対に勝たなくてはいけない。
辛かったJ2での1年。
最後の闘い。



アジエルに対するファール、阿部のフリーキックが跳ね返り、途中交代の土橋の前へ。
土橋のシュートは放物線を描き、スローモーションのようにゴールに吸い込まれる。
一年前とは違う涙の、Vゴール。



選手が、サポーターが、泣いている。
スタジアムで、テレビの前で。



鳴り響くWe Are Redsコール。
長かった1年がようやく終わりを告げた。

 


1999.11.27-。 [浦和レッズ。]

1999.11.27-



1stステージの低迷。
監督 原博美の解任。
司令塔 小野伸二の大怪我。
J1残留へのファイナル4。



そして、あの日。

勝てばJ1残留。
相手はサンフレッチェ広島。

点が入らない。
ジリジリする展開、時間だけが過ぎていく。
降格を争う、ジェフ市原(当時)は勝利。
レッズは90分で勝たなければ、降格。



タイムアップ



浦和レッズ、J2降格。



それでも試合は終わらない。
当時のJリーグは90分が終わって同点の場合、サドンデスのVゴール方式を取っていた。
すなわち、この試合の勝敗を決めるだけの延長戦。



勝利に、意味はあるのか。
既に決まったJ2への降格。
勝っても負けても引き分けても、J2降格。



試合終了のホイッスル。
福田正博のVゴール。
涙の、Vゴール。



選手が、サポーターが、泣いている。
スタジアムで、テレビの前で。



鳴り響くWe Are Redsコール。
あの日から始まった長い1年。


選らばれざる者。 [浦和レッズ。]

たまにはフットボール話題を。

昨日、北京五輪に出場するU-23サッカー日本代表が選出されました。
ここ数年は代表にも想い入れがなく、選手が壊されて帰ってくるという悪いイメージが。

2002年のワールドカップまでは普通に関心があったのですが。
それよりも何よりも、浦和と共に闘うことが日常であり、至福の喜びとなっていました。



五輪といえば前回のアテネ、浦和の鈴木啓太はその予選中、キャプテンを任されていました。
そして本選に向けての代表発表、啓太の名前はその中にはありませんでした。

当時浦和には田中達也、闘莉王、山瀬功治、鈴木啓太の4人が五輪代表候補がいました。
選ばれたのは達也と闘莉王の二人・・・会見に現れた二人が身に着けていたユニフォーム

pic001.jpg 


8番山瀬と13番啓太。

あれ以来、啓太は日本代表の中核を成す選手として成長し、山瀬も大怪我を乗り越え復活。
アテネの悔しさを、しっかりと今に生かしてくれていると思います。



そして北京五輪。
浦和から選出されたのは、細貝萌ただ一人。

pic002.jpg 


候補だった梅崎司、エスクデロ・セルヒオは落選。

司は大分で活躍後、フランス2部グルノーブルに、その後大分経由で浦和に移籍。
ここ数年の浦和の戦力からすれば、試合出場すら難しい状況での移籍決断。
正直、彼のプレーに魅力を感じていたけれど、ビックマウスっぷりがあまり好きではなかった。

でも浦和の一員として共に闘う中で、それが誤解であったことがわかって。
気持ちのこもった、魂を感じさせてくれる・・・それが司の魅力。


http://ameblo.jp/tsukasa-umesaki/day-20080714.html

落選後に書き連ねた、彼の言葉。
こっちが涙出てきたよ、読んでてさ。

サポータとして言えることは、浦和で一緒に頑張ろうってことだけ。
数年後、日本代表の中心選手になって、ワールドカップ連れてってくれ。


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